無宗教は宗教なのか?  ~人の感性は十人十色~

どうにももにょったので書いてみることにした。

「上から目線ヒステリー」について (例の宗教の記事について・後記)

この中で、宗教の定義について触れてあるのだが、これがどうにももにょる。

元もとの「「宗教信じてる?」 「いいえ」 「じゃあ持ってるお守りハサミで切って」 「できない」 「は?」:特定しますたm9(`・ω・´)」の中でも、そもそも宗教とは何か?について、実は専門家と一般人の認識の差異が、議論の元になってる(単なる馬頭もあるが、それは除外するとして)と思う。

で、記事では宗教の定義を以下としている。

宗教定義は細かな部分で未だに議論が続いているが、近代宗教学の親とも言われるオットーは『聖なるもの』のなかで宗教本質をヌミノーゼという言葉表現している。

 オットーによればヌミノーゼとは「それ自体が非合理なもの」で「概念として説明できないもの」であり、また従って、「それは、ある種の特定感情によって人間信条を捉え、動かすようなもの」だ。

 これだけだと、何のことか分かりにくいという奴も多いと思うが、次の例を読めば大体理解してもらえると思う。

 荘厳な儀式を見て、いつもと違う気分になった。

 母親が死んで、その葬式感情的な高ぶりを覚えた。

 森の中を一人で歩いていたらなんだか不安になってきた。森の中に視線を感じる。

  

 これって宗教でもなんでもなくて、ただの「感情」じゃね?って思うやつがいるかもしれないが、それは半分正解で半分間違い。

 結局宗教体験も人の経験である以上、感情的ものと切り離すことはできないし、そういうただの感情アニミズム信仰の「原型」だというのが、現在宗教学とか文化人類学での基本的見解。(以下追記)

 

 *あくまで原型であって、感情宗教では決してない。

  儀式葬式、森といった対象がいかにして(宗教的)感情喚起するのかは専門的な議論になるため省略(11/1追記)

 

で、これだけ読んで一般人であり対して頭の良くないわたしなどは、こう思う訳だ。

【それ自体が非合理なもの」で「概念として説明できないもの」であり、また従って、「それは、ある種の特定感情によって人間信条を捉え、動かすようなもの」】宗教の本質であるなら、宗教を信じないと言う無宗教すら、一種の宗教ではないのか?と。

何を言ってるんだお前は、と言われそうだが、無宗教=宗教の否定ってことなんだけども、無宗教それ自体が、独立では存在しえないよね?って話です。

無宗教は宗教の否定でしかないのですからして、無宗教そのものがどんな概念なのかを説明する事は出来ないと、貧弱な頭で考えた訳です。

 

言葉の遊びじゃないか と言う批判に対しては、その通りです。と言う答えになります。

でも、宗教の定義を 【それ自体が非合理なもの」で「概念として説明できないもの」であり、また従って、「それは、ある種の特定感情によって人間信条を捉え、動かすようなもの」】 とした時点で、宗教とは何か?と言う根源的な問いに対しては、言葉遊びにしかならないと思うのですよ。

何しろ、概念として説明できないし、特定感情と言うこれまた合理的に説明できないもの なのですから。

 

とここまで書いて、自分でも良く分かってないなぁと言うのが分かりました。

まあ、結論として、少なくとも自分の子供は、こんな【意図的・自覚的に嫌がらせの質問をする教授】のいる大学には行かせたくないなぁと思いましたww。

そんじゃーねww