それでも「キラキラネームはやっぱりダメ」 ~人の感性は十人十色~
こんにちは。杏自動車です。
キラキラネームが揶揄されるようになって久しいです。わたしも最初は「アハハ~ウケル~」と思っていたのですが、よく考えたら別にアハハと思うような話ではないことがわかってきました。
何回かに分けてキラキラネームについて考察するほど暇じゃないので、今回限りですが、一見正論に思える【「キラキラネームは読みにくいからダメ」説は間違ってる(http://bylines.news.yahoo.co.jp/kokorosha/20131002-00028612/)】を扱います。
結論を先に言うと、キラキラネーム批判に対する批判(まあ、要するにキラキラネームだって良いじゃないか!説)は、当事者(周囲の関係者含む)でない第三者視点からくる勘違い ないしは、無責任な発言だと判断します。
読める名前を付けるのは親の義務
そもそも、キラキラしてない名前でも「淳」は「あつし」なのか「じゅん」なのか「きよし」なのか判断に苦しみますが、でも、その名前自体を否定することはありませんし、一度確認出来れば周囲の人も「なるほど、彼は “じゅん” じゃなくて “あつし” か」と納得します。
そのこと自体が話題になる事もありませんし、それが原因でいじめになるってのも、普通は考えられません。
一方、いわゆるキラキラ系の名前の代表格と(勝手に思ってる)「光宙(ピカチュー)」は、好き嫌いはともかく、初見で「ぴかちゅー」だろうなと思う奴なんていません。だからこそ問題視されたんですけどね。
読み方が全く想定の斜め上であり、初対面の人から正しく名前を呼ばれる可能性が全くないと言う点において、いわゆるキラキラネームに理があるとは思えません。
(強烈なインパクトがあるので、忘れられないと言うメリットはあるかも知れませんが。)
また、キラキラネームで検索すると、振門体(ふるもんてぃ)・ 嘉緒翠(かおす)・ 芽凸(がこ)・ 芯次威(しんでぃー)・ 萌羅等南(もららな)・ 陽(ぴん)・ 京桜靖(きょおせい)・・・ここまでフリーダムだと逆に感心しますね。そして、親は何考えてんのか?とも。
つまり、「これって何て読んで良いのか想像もつかない」という気持ちから、「親はなんでこんな日本語の読みとして不自然極まりない名前にしてしまったのか?子供の将来を考えてないのか?」という、子を持つ親であれば当然とも言える批判が生まれてくるのです。(名前でいじめられるとか、子供のころはありがちですしね)
ですので、この親視点で子供の将来を懸念する感情から発する、キラキラネーム批判に考えが及ばない人は、キラキラネーム批判を批判する(めんどくさいですね)のは止めるべきです。
「俺(もしくはわたし)、キラキラネームだけど、この名前に感謝してる!」って人は、わたしを批判・非難して下さってかまいません。
そして、良ければコメント下さい。お友達になりましょう。(いや、マジでお話を伺いたい)
確かに、自分の名前が呼ばれる機会は意外に少ない。
ですが、名前を呼ばれる機会ってのは、人生における節目だったりします。
それは保育園や幼稚園の入園式・卒業式から始まり、小中高大の入学・卒業式、会社の入社式、結婚式等々。
その人生における当人の記憶に残るような場面で、名前が原因で失笑が起きた時、名付けられた子供はどう思うでしょうか?
特に幼稚園や小学校の入学式で、名前が原因で失笑されると本人にはトラウマになりかねません。
キラキラネーム批判を批判するなら、自分が上記のような場面においてキラキラネームで呼ばれた時に、どう感じるか良く考えて発言して頂きたい。
自分の批判は当事者じゃないからこそ言える、無責任な批判のための批判ではないのかと。
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以上、【「キラキラネームは読みにくいからダメ」説は間違ってる】を検証してみましたが、この説については、単なる批判のための批判の域を超えていないことが明らかになったと思います。
次回はありません。www